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患者さんストーリー

手術の翌日から歩け、退院翌々日から仕事にも復帰できました。

この記事の患者さん

股関節

佐伯 英里さん (仮名)
北海道在住 
54歳、会社経営

病名 変形性股関節症(左足)

治療法 人工股関節置換術

この記事の目次

02 人工関節置換術との出会い

人工関節置換術についていつごろ知りましたか。

皮膚を切らなければいけないし、手術費用もすごく高いだろうと思っていました

昔から知っていました。でも、人工関節そのものというよりは、そもそも皮膚を切らなければいけないことが嫌でした。
かかりつけのお医者さんに人工股関節置換術のことを聞いたときには、皮膚を30cm切らなければいけないことと、リハビリを含めて3ヶ月の入院が必要ということだったので、それは困ると思いました。会社を3ヶ月も休んでしまったら、その間に倒産してしまうかもしれないんですから。そんなに長く切らなきゃいけないということにももちろん抵抗がありました。女性ですし。

日本の医療は日進月歩でしょうから、私のような患者さんが増えれば、手術も改善されるだろうと期待をしていました。それまでは我慢して杖を突いていればいいや、と。それに、手術費用もすごく高いだろうと思っていましたね。

手術を決意されたきっかけは何ですか。

手術を決意したきっかけは、3つの偶然が重なったこと

50歳になったころだと思いますが、股関節にガングリオンといって腫瘍が出来てしまったことがありました。夜中に痛くて眠れないのでおかしいと思ったら、左足の付け根にポコッとした、しこりがふくらんでいたんです。膝に水がたまるようなもののようで病院で注射器を使ってしこりの中身を抜いてもらいましたが、とっても痛かったのを覚えています。筋肉の衰えのせいか、その頃には睡眠障害も出始めていました。鎮痛剤を頻繁に使ってしまったときや、無理をしてしまった日は、たとえ薬を飲んでいても、夜中に痛みで目が覚めてしまうんです。それと、歩くときに体がどうしても左右にふれてしまうので、家族やお客さんからも「早く手術をしたほうが良いんじゃないの?」と頻繁にいわれるようにもなりました。

手術を決意したきっかけは、私の場合、3つの偶然が重なったことでした。

  1. 主人の同僚の奥様が鎌倉にある病院で両股関節の人工関節置換術を受けて、
    「是非、佐伯さんも手術を受けたほうがいい!」と私にお勧めしてくれたこと。
  2. なんとその方の執刀医の後輩にあたる先生にたまたま私が診てもらっていたこと。
  3. 主人の東京転勤が決まったこと。

手術を受けるまでのエピソードを聞かせてください。

「最小侵襲手術」という手術方法であれば、皮膚を30cmも切らずに済む

2005年に、その鎌倉の病院を初めて受診すると、お医者さんからは「最小侵襲手術」という手術方法であれば、皮膚を30cmも切らずに済むし、入院期間も短くて済むことを教えてもらいました。そのときですら手術に対する抵抗がまるで無かったわけではありません。でも30cmと覚悟していたものが、それよりもずっと短くなるなら「少し切ればいいんだ」と、恐怖心も薄れますよね。手術について十分な説明も受けましたし、自分自身納得することができました。

それに、自分のレントゲン写真を見て驚きました。左右の足で、左足が2.6cmも短くなってしまっているだけでなく筋肉の密度までが違ってしまっているんです。レントゲンでは左足にポコポコと白い隙間ができていました。痛くて足を動かせないから、どんどん筋肉が衰えていったようです。確かに、左足のほうが右足よりも細くなってしまったことには自分でも気付いていました。

とても誠実なお医者さんで、私が実際に人工股関節置換術を受けるまでには、最初の受診から7ヶ月かかりました。
人工股関節置換術をより安全に受けるための課題をお医者さんから与えられていたためです。
課題の1つは5kgのダイエットでした。体重が増えれば、それだけ人工関節にかかる負担も大きくなるからだそうです。手術を受ける直前の2ヶ月というもの、大好きな油物も控え、食べる量をセーブしたり、水中ウォーキングに通ったりもしました。その甲斐あって、手術前には4.5kgのダイエットに成功。辛かったけれど、手術をきっかけにダイエットできたことは結果的に良かったなと思っています。手術前にこうやって、しっかり準備させてくれなんて、本当に親切なお医者さんだと感じました。

03 全てを終えて・・

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