第23回 患者さんストーリー

記事の一覧へ

人工骨頭手術を受けて16年…長年使い続けた人工骨頭を人工股関節に入れ替えたら、面白いくらい歩けるようになりました。

押川 恭枝さん神奈川県在住 79歳(手術を受けた年齢)
病名
大腿骨頚部骨折(左足)
治療法
人工股関節置換術
押川 恭枝さん

20代から舞台女優として活躍してこられた押川さん。体を動かすお仕事なだけに常に活動的な生活を送られていましたが、60歳を過ぎた頃、稽古場で骨折、人工骨頭手術を受けられました。その後も15年以上元気に舞台に立ち続けられましたが、80歳を目前に、長年使い続ける間にゆるんできた人工骨頭を人工股関節に入れ替える再手術を実施。2度の手術を受けた感想を、いきいきと明るく語ってくださいました。

稽古場の舞台で転倒して骨折。人工骨頭手術を受けることに。

舞台女優を始めたのは女子大で演劇のクラブに入ったのがきっかけです。最初は脚本を書いたり、演出する方をやりたかったんですけどね。結核を患って女子大は退学することになってしまったのですが、その後、劇団に入団し研究生を経て演じる方に進んでしまいました(笑)。旅から旅へ全国を回る劇団にいたこともあるのですが、体もあまり丈夫ではないし、結婚したこともあって、最終的には池袋を拠点として活動する劇団に落ち着いたんです。

「あの人のように生きよう」・「愛の人」

大きなけがをしてしまったのは60歳を過ぎた頃、公演を10日後に控えた舞台の稽古後のことでした。その日の稽古は本番の衣装をつけて行う稽古。本来は楽屋で着替えて帰るのですが、早く帰りたいので楽屋に戻らず、そのまま客席の上の方でササっと着替えたんです。そして、稽古用のバレエシューズをつっかけるように履き、片手に脱いだ衣装、もう片方の手には荷物を抱えて階段を下りて行ったそのとき、階段の最後の段を踏み外してしまって。

その瞬間、「あああっ!」と思ったのですが、両手がふさがっていて何もできず、もろに腰のあたりを打ち付けてしまったのです。一緒にいた仲間は「ドスンとすごい音がした」と言っていました。そのまま病院に運ばれて、大腿骨頚部骨折と診断されて、手術を受けることになったのです。他の場所にはアザひとつできなかったのにね。

手術をしない方法もあると聞きましたが、その場合は長い間、もしかしたら何年も寝ていることになるかも?と言われて迷わず人工骨頭手術を選択しました。出演するはずだった舞台はダブルキャストだったので何とか大丈夫だったのですが、稽古に復帰できたのはそれから約半年も経ってからのことでした。

肝っ玉おっ母とその子供たち 真船豊「いたち」
手術後は元気に舞台に復帰!しかし小さな不調は残った。
押川 恭枝さん

人工骨頭手術を受けたあとは、常に筋肉痛のような痛みがあったように思います。実は、ようやく稽古に復帰した頃に、全快祝いで行ったお寿司屋さんで転んでしまったの!そのときも骨折と診断されたんですけど、今度は手術ではなく、骨がくっつくのを待とうということになり、長い間じっとし続けることになりました。そのとき、筋肉を弱らせてしまったのかもしれませんね。

一方リハビリでは、とにかく当時の担当の先生がスパルタ式で(笑)、「痛みを恐れず、仕事にもどんどん戻れ」という方針だったこともあり、つい自己流で、がむしゃらに歩いてしまったことも、今思えばやり過ぎだったのかもしれません。

そんなわけで、自宅のある横浜から劇場のある池袋まで杖をついて通い、ドンとぶつかるような演技や、正座の必要な着物の役柄からは外してもらって舞台の仕事を続けました。その間、手術した場所そのものではないのですが、やはり何かしら痛みがあり、稽古のときは痛み止めもよく飲んでいた記憶があります。

また、今改めて当時の写真を見てみると、やっぱり少し足がおかしくて、立っている姿の左足の足首がちょっと外を向いているように見えます。手術してからは長いスカートをはいて舞台に上がっていたので、あまり分からなかったとは思うのですけどね。

記事の一覧へ